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平素は格別のお引き立てを賜り、誠にありがとうございます。 当組合は御寺泉涌寺地域の窯元が集まり 相互協力の元 陶磁器業界の発展、地域振興に取り組んでまいりました。 現在の日本では、外国からの観光客が空前の消費を行っていただいておりますが、それに甘えず各窯元は、より良い商品、作品を生み出すため 弛まぬ努力をしており、当組合もできる限りの協力をしております。 色々な業種にもありますが、我々も後継者難等の課題を背負っておりますが、伝統産業という名に恥じないよう未来を見据えた活動をしていきたいと考えております。 秋には東福寺にて会員の作品販売や当組合会館界隈にてもみじ祭り、陶器市も行っております。 会館では作品や作陶用具も常時販売しております。 京都、東山にお越しの節には ぜひお立ち寄りください。 今後とも皆様のご愛顧の程、よろしくお願いいたします。
京都青窯会協同組合 代表理事
小川 由嗣
泉涌寺地区は、もともと『京都府愛宕郡今熊野村字東林寺』と呼ばれ、戒光寺の末寺の東林寺のあったところであった。
この地は「やきもの」とは古くから縁があり、太閤秀吉が大仏殿造営にあたり、この地に瓦窯を築かせ、「大仏瓦」の名で、東林町にも十数軒の瓦窯が大正初年まであったそうである。
明治38年、泉山了谷がこの地に「やきものの窯」を築き、明治41年、宇野仁松が「登り窯」に改良して焼造した時から起算して、開窯100有余年になる。
そして五条坂から先人達が登り窯を築いて、京焼・清水焼を開窯したのが大正3年。1番多い時で14本もの登り窯が煙を上げていた。
しかしその間、順風満帆での歴史ではなく、大正12年の世界的な不況、太平洋戦争、企業整備、若者は戦場にかり出され、帰らぬ人になった人々も計り知れない。こうして幾つかの大きな試練を経て、戦後につながるのである。
昭和30年頃から、伝統産業界では京都府の指導により青年会の結成が相次いだ。そのなかで、昭和35年10月、(任意団体としての)泉涌寺青窯会が発足したのである。
昭和43年、現在の青窯会の土地が入手し、その年の12月、「京都青窯会協同組合」が結成された。
昭和50年5月、青窯会会館が完成し、名実ともに我らの拠点ができたのである。
昭和56年からは東福寺での秋の出店、昭和61年には若者の意欲を結集し、「泉涌寺陶磁器青年会」が発足。平成6年より、秋に「もみじ祭り」を開催。地元をギャラリーに見立てた作陶展や即売を行い、平成9年からは展覧会やお茶席も設け観光客に親しんでもらっている。
この様に、泉涌寺地区は先人達から見れば眼を見張る発展を遂げている。
| 年 号 | 西暦 | 月日 | 地区窯業年表 | 京都の窯業界と世相年表 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 天正 | 14年 | 1586年 | 山中山城守泉涌寺地区にて大仏瓦を焼く | ||
| 大正 | 3年 | 1913年 | 島村久三郎、泉涌寺地区にて開窯 | ||
| 昭和 | 35年 | 1960年 | 10月 | 京都青窯会発足 70名 | |
| 39年 | 1964年 | 4月 | 第1回 京都青窯会作陶展 (以降、毎年開催) | 東京オリンピック | |
| 43年 | 1968年 | 11月 | 京都青窯会協同組合設立 | ||
| 45年 | 1970年 | 大阪万国博覧会 | |||
| 50年 | 1975年 | 5月 | 青窯会会館完成 | ||
| 52年 | 1977年 | 伝産法による「京焼・清水焼」名称認定 | |||
| 53年 | 1978年 | 9月 | 協同組合10周年記念行事世界クラフト会議協賛 | ||
| 12月 | 京都府 推奨組合に表彰 | ||||
| 58年 | 1983年 | 12月 | 京都府より優良組合として表彰 | ||
| 61年 | 1986年 | 泉涌寺陶磁器青年会発足 | |||
| 平成 | 3年 | 1991年 | バブル崩壊 | ||
| 6年 | 1994年 | 11月 | 泉涌寺窯もみじまつり(地区一帯・以降、毎年開催) | ||
| 7年 | 1995年 | 平安建都1200年 | |||